12年を振り返って

私が子宮筋腫のUAEに着手したのが1998年10月でしたから今は13年目になります。この12年間を振り返ってみたいと思います。
1998年10月の第一例目は6人の医師がチームを組んで行いました。私が一番下っ端でした。1名はフランスでUAEの経験がありました。1名は選択的子宮動脈造影用カテーテルを自ら開発し100例以上の造影経験があり、悪性腫瘍に対する動注塞栓療法の経験がありました。私は子宮動脈に関しては数例の動注塞栓療法の経験しか持ち合わせていませんでした。あとの3名は婦人科医です。当時はUAEが将来どうなるかということに関してはまったく予測ができませんでした。つまりUAEをライフワークにしようとか研究しようなどとは考えていなかったのです。症例に関しても婦人科サイドが決めていました。 多数の筋腫の症例はだめ。大きすぎるのもだめ。 こういったものは手術するのが最適という考えでしたので、筋腫の個数も少なく、大きさも比較的小さいものがほとんどでした。
これがよかったのです。合併症などなくいつしか50-60例目になっていました。もちろん成績もよかった。
今でこそ学会で、どういった症例がUAEに適しているか、どういった症例は適応でないかが論じられていますが、当時はほとんどといっていいほど論じられることはありませんでした。

私にとってUAEの魅力は手技がsimpleであるということです。左右の子宮動脈にカテーテルを入れて塞栓物質を流し込む。これだけのことです。
大動脈内でループを形成し、1本のカテーテルで左右の子宮動脈に挿入する。いかにスピーディに操作を行うかを毎日イメージしていました。寝る前も毎日イメージしていました。
UAE経験が3-4年目になる頃はスピードを考えていました。つまりできるだけ短い透視時間でおこなう。最短何分でできるかを考えていました。そのころは透視時間3分台を連発していました。
3分を破ることは難しいだろうと思っていました。
ある時、ガイドワイヤーがするすると子宮動脈に入りました。そのままカテをかぶせて塞栓。反対側も容易に挿入でき塞栓。2.5分でした。
その後2.2分という時もありましたが2分の壁は絶対に無理だろうと思っていました。
でも毎日イメージしていかに無駄を省くかを自分勝手に考えていました。
私の最短透視時間は1.8分です。2分以内の透視時間でUAEを施行したのは3-4症例あったと思います。
説明をするのはちょっと難しいのですが、当時はきわめて“本能的”にUAEを行っていたように思います。診断学がscienceならば治療はart、特に外科手術はartの要素が大きい。artisticにUAEを行っていました。2分以内の透視時間でUAEが可能とわかった時点で、時間と戦うことはやめました。
artの部分は十分だ。scienceの部分を取り入れようと思ったのです。